④ 大森城址(可児市大森)(1985)昭和60年8月発行 <可児の武将と城舘>
久々利三河守の家老奥村元信の子元広が築城し大森城は天正10年(1582落城するまで、奥村又八郎(元信)の居城であった。城址は大森川と姫川に挟まれた北に細く延びる丘陵の東、大森神社の裏手に位置し、丘陵頂き、東西約20m、南北約50m、にわたり整地され、本丸となっている。また、本丸の下は東側を中心に幅3m程の空堀がめぐり、土居も築かれ、北側には広さ250~300㎡の平坦面が二面続き、二の曲輪としている。
久々利三河守の家老奥村元信の子元広が築城し大森城は天正10年(1582落城するまで、奥村又八郎(元信)の居城であった。城址は大森川と姫川に挟まれた北に細く延びる丘陵の東、大森神社の裏手に位置し、丘陵頂き、東西約20m、南北約50m、にわたり整地され、本丸となっている。また、本丸の下は東側を中心に幅3m程の空堀がめぐり、土居も築かれ、北側には広さ250~300㎡の平坦面が二面続き、二の曲輪としている。