諸家古墳(大薮町諸家)<南姫合併30周年記念資料から>
昭和39年、南姫小学校の敷地造成のため発掘された諸家古墳は、 6~7世紀頃のものと推定される。形式は横穴式で玄室は、1.8×3.0×1.1㎡で、羨道4.2mに達する。 昔から姫塚と呼ばれていたことから、姫の郷の支配者とかかわりのあるものと思われる。現在は、位置をかえて、南姫小学校の庭園の一部として保存されている。
昭和39年、南姫小学校の敷地造成のため発掘された諸家古墳は、 6~7世紀頃のものと推定される。形式は横穴式で玄室は、1.8×3.0×1.1㎡で、羨道4.2mに達する。 昔から姫塚と呼ばれていたことから、姫の郷の支配者とかかわりのあるものと思われる。現在は、位置をかえて、南姫小学校の庭園の一部として保存されている。